写真を撮る/身体を見る

「あなたにとって一番大切なものは?」と問われたら、「自分の身体」と確信を持って答えるだろう、と思う。とはいえ、自分自身の身体をどのように捉えているのか、と問われると、その確信はおぼつかない感覚に置き換えられてしまう。誰であっても、他者に見られているようには、自分自身の身体を見る事はできない。身体を撮した写真—それが自分の身体を撮したものではなくとも—の中には、そのおぼつかない感覚に働きかけたり、意識していなかったことに気づかせてくれたり、それまでに持っていた考え方に揺さぶりをかけてきたりするものがある。写真を通して見知らぬ誰かの身体を眼にすることで、その人のことについて思いを廻らせたりすることもあれば、自分自身の身体のことを振り返って考えたりすることもある。身体を撮る/見る視点の多様性を探ることで、自分のそして他者の身体への想像力を膨らませてみたい。

講師|小林美香
会場|大阪市立総合学習センター 第5研究室/第4研究室
日にち|2006年
    5月13日(土)
    5月27日(土)
    6月10日(土)
    6月24日(土)
時間|18時:30–20:30
受講料|2,000円(各回)/7,000円(4回通し) 終了しています。
定員|36名

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手の仕草が伝えること

手は、体の中で一番よく動かしている部位であると同時に、見たり見られたりしてもいる部位である、と言えるでしょう。私たちが無意識のうちに行っているような手の仕草は、その時々の意志や感情を伝えるものとして読みとられていたりもします。
手を撮した写真の中には、見る人にさまざまなことを連想させたり、感情や欲望を喚起したりする力を持つものがあります。
広告写真や報道写真、ポートレート写真、科学写真などさまざまな目的のために撮影された「手の写真」を通して、手という部位に向けられている視線のあり方や、手の仕草が伝えることについて考えてみましょう。

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作られる身体のイメージ

広告写真やファッション写真、報道写真のようなマスメディアに流通する写真は、「望ましい」(あるいは「逸脱する」)身体のイメージを作り出し、見る者にその価値観を刷り込むような役割を果たしています。また、デジタル技術による写真の操作や加工が急速に発展・普及した現在では、写真に捉えられた身体は、現実の有り様を映し出すものと言うよりも、捏造しされたフィクションに近いものになっているといえるかもしれません。身体のイメージを作り出す技術の発展の過程を辿り、身体の見方を支えている支配的な価値観(人種や性差、政治、階級など)に注意を向けてみましょう。

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身体に向き合う 女性写真家の視線

現代の写真家、とくに女性の写真家の中には、マスメディアで流通しているステレオタイプ的な写真のイメージに異議を唱えたり、独自の見方を提示したりするような作品を制作している人がいます。このような写真家の活動は、フェミニズムやゲイ・リベレーションのような思想や社会運動、芸術家が自らの身体を使って演じるパフォーマンス・アートの展開とも密接に結びついています。写真家やパフォーマンス・アーティストの作品を通して、写真の中に捉えられた身体が、社会に対してどのような提言を試みているのか、ということを読みといていきます。

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身体が浮き上がらせる時間

身体が経験する変化には、さまざまな時間の幅を想定することができます。たとえば、わずか数秒の間に微妙に表情や動作が変わるということであったり、あるいは数年、数十年の間に年齢を重ねていくことであったりもします。写真家の中には、写真の撮り方や、写真のシークエンスの構成方法を通じて、身体が経験する時間の経過を目に見えるかたちに置き換える試みをしている人がいます。身体を通して浮き上がって見えてくる「時間」について想像をめぐらせながら、写真を通して身体を見ることの奥深さについて考えてみましょう。

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小林美香|KOBAYASHI Mika
写真研究者。大阪芸術大学、大阪成蹊大学、京都造形大学非常勤講師(写真史、デザイン、現代美術論などを担当)写真やデザインに関する論文、翻訳を手掛ける。 
レクチャー、シンポジウム、ワークショップなどの企画多数。

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