Parallax – 内在する視差 –
2011年9月2日(金)-9月24日(土)
火曜-金曜 12:00 - 19:00 土曜 12:00 - 17:00
9月は桑島秀樹の当ギャラリーでの初個展を開催致します。グラスやデキャンタを大判のカメラにて撮影し、ガラスの透明感を生かした多層レイヤーをプリントした曼陀羅をも思わせる複雑で重厚な作品’THE WORLD’が代表作です。
本拠地大阪での久しぶりの展示は、これまでとは違う新しい試みをスタート致します。桑島の実家は父の代からの営業写真館で、自宅でもありスタジオでもあったその場所に溢れていた写真が今回の作品のベースになっています。父親が自らの習作のために撮影された写真を覗き込んでいた桑島自身の視線を多重露光という形で写し込まれたのが、今回のアナログ作品です。現在の桑島の作家としてのあり方の重要なキーとなる、父親、そしてそのスタジオの存在。作品には、父の時間そして、桑島の時間という二つの時間があり、また幼い桑島が感じていた「写真」そして「仕事」への興味、そして厳しさへの恐れという感情的なものが数十年の時間を経て、複層的に重なっています。
‘THE WORLD’が視覚的な複層性の面白さを追求したものの一壁とするなら、’Parallax’は時間と感情の複層性を追求した、その対となる新たな壁となることと思います。
どうぞ桑島の新たな面をご覧頂ければと思います。
また、9/2(金)19:30-21:00にギャラリーにて、桑島秀樹のアーティストトークを開催致します。是非御参加下さい。
参加費:800円(税込、ワンドリンク付き)定員:25名(要予約)予約先:06-6445-3557 ayay@osk.3web.ne.jp
尚、9/3(土)17:00-20:00はオープニングレセプションを開催致します。
是非、お越し下さい。
Artist Statement
作品のベースとなる肖像写真は1950年代より60年代にかけて写真家である父により撮影されたものである。
当時は営業、広告写真及び写真作家は写真士(師)または写真家と一般的に認識される度合いが
現在よりも強く、特別な撮影技術を要した職人として業界隆盛の一端を担う存在であった。
また肖像写真家としての確立を更に目指すべく作品制作は父にとって絶対的なものであったと思われ盛んにプロ、アマ問わず彼の審美眼に叶ったモデルがスタジオ、ロケ等で幾度もカメラに収められていた。
それら人像の殆どは営業写真のそれとは相反するように笑顔が無く且つ穏やかさが排除されており僅かな点数に見られるその微笑みも重厚さを伴った独特な重苦しさで表現されていた。
自宅兼スタジオであった我が家にはそんな父の作品や仕事としての写真が溢れておりその家中において物心ついた私にとっての唯一の鬼門の場は”写場”(しゃじょう)と言われる2階のスタジオであった。
来客時以外は僅かな明かりが灯るだけのその場所には成人式や七五三等の商品としての写真を凌駕する程の前述の作品が数多く並べられそれはある種営業を度外視した程に思える展示のさまで幼い私はその場でそれら作品と対峙する事に奇妙な恐怖心を抱き続けていた。
現在ではそれゆえの「力強さ」と解釈できようものだが子供心にはそのような理解力など持ち合わせようもなく、恐い割にはその理由を探そうとしたのか日中に限りそれらを離れたり寄ったりして眺めたものである。
しかしその不思議な底気味悪さに変わりは無く整然と配置された作品群を前にすると何者かに取り囲まれたかのごとく暗く重い空間に身を落とし込まれるような気持であった。
午後7時過ぎ写真館営業終了時ほどなくして父の命により写場の照明を消しに行く役目は常に私であり元来封建的な家風故その理由を聞く事すら出来ず暫くは必要以上の勢いで階段を駆け上がり慌てて全てのスイッチを切り、そして階段を転げおりるという有り様であった。
あまりのけたたましさに程なく叱りを受けその後私は安全確実にその仕事をすべく薄目をしたまま全てをこなす毎日となる、目をつむりたかったがさすがに手探りでは要領を得ない為、眼前に広がるぼんやりした映像を頼りに明かりを消す事で仕事は手際よくこなせるようになった。
薄目で見たスタジオの風景に溶ける作品群は人像としては認識できるものの手法を変えた事でその捉え方にも変化が生じある種ぼんやりした物体の一つとして確認出来るようになり以前のそれとは違った印象で受け止められたのである。
その一連の作品との出逢いは結果私が作家として歩む上での重要な事柄となり畏敬の念を抱きつつ今作ではそれら作品、父また写真を用いた表現者としての自らと如何に向き合うを一つの課題とし実験さながらの所作においてこの制作に至った。
前述のはっきりとした記憶を頼りにカメラを肖像作品に向けそして私(レンズ)が写り込んだ画像に焦点を合わすとそれは丁度薄目をあけて見ていたあの頃のぼんやりした作品がファインダーに表れた、そしてまた作品に焦点を合わせまた自分に焦点を合わせ直してみる、繰り返していく程その動作は見えない距離を測る行為にも思え、カメラの小さな目盛りでは測り得ない近くて遠い記憶との距離を感じたのである。
そしてその始終を多重露光を用いて一枚の写真に仕上げた時その鑑賞距離の変化によって僅かに変貌する二重潜像の内在する視差からは前述の父との関係性と併せ自らの生業の趨向をもぼんやりと確認する結果となった。